あなたよりも大きな愛はどこにもないんだよ
2008年の春だったかな、小学3年生だった私は嵐のファンになった。
嵐を好きになる前の生活はもう思い出せないくらい。
何かに夢中になり、応援し、毎日がときめきやワクワクに満ち溢れることの楽しさを知った私は、もう無我夢中で嵐のファンを全うしていた。
小・中学生の私は微々たる額のお小遣いでCD、DVDを買い、テレビやラジオは欠かさずチェック、コンサートの当落で一喜一憂し充実したキラキラな毎日を送っていた。
私は嵐を好きになるために生まれ、嵐一筋の人生を歩んでいくんだ!と思っていた2016年7月、七夕事件が起きた。
二宮和也くんをガチ恋同様に愛していた私のキラキラが全て儚く散っていったと同時に嵐への熱も冷めていってしまった。
月日が流れ、2017年5月。
当時中島健人くんが好きだった妹に誘われ、5周年ツアー「STAGE」の横浜公演に参加した。
それまでの私は、今となってはありえないしあの頃の私に殴りかかりたいくらいだけど、嵐と比較してSexy Zoneを馬鹿にしていた。
妹のおかげで彼たちについての知識はゼロではなかったが、本当にただただミーハーな気持ちで着いて行ったコンサート。
妹に合わせて青に灯したペンライトを振り、嵐しか知らなかった私は新鮮な気持ちで楽しんでいた。
でも人生ってどこで何が起きるか分からないよね。
曲に合わせて振っていたペンライトはいつの間にか緑色に変わっていた。
彼のソロ曲パフォーマンスで恋に堕ちた。
子供で垢抜けなくて目立たないイメージしかなかった彼に。
5人の中で一番ないな、と思っていた彼に。
一番興味のなかった彼に。
それからは彼から目が離せなくなっていた。
コンサートが終わった瞬間、彼について調べ、彼のことを知り、彼の暖かさに触れどんどん好きになっていった。
嵐とは全く違う何もかもが楽しくて新しくて、物凄い勢いで好きになった。
嵐以外ありえないと思ってたのにな。
高校3年生、受験生の私を鼓舞し、勇気づけ、生活の糧になり、毎日を彩り豊かにしてくれたのは間違いなく松島聡くんだった。ありがとう。
2018年の4月に私は上京した。
受験のことや家族のこと、ホームシック、様々なことが重なりネガティブになってしまっていた私は彼に依存し、生きる糧を彼にしていた。彼が全てだった。精神安定剤。
彼の人柄、優しさ、暖かさ、笑顔、歌声、考え、生き方、書き切れないけど、全部全部が好きで全部に救われていた。
今、そのありがたさを、それがとんでもなく幸せだったことを痛感している。
2018年11月26日。彼の21歳の誕生日前日。
2日後のベストアーティストの番組協力に当選した。
誕生日を直接祝うことが出来る、23日から更新が止まっていたブログも、ヒルナンデスの生放送出演中止も、きっと風邪を拗らせていたのだろうから、元気な姿を見ることができる。
そんな期待に胸を膨らませて11月28日、学校を休み、幕張メッセに向かった。
入場整理券を受け取るために列に並んでいた午後4時頃。
列に並んでいた前後の人達がザワザワし始めた。
「え、聡ちゃん」「やばいね」「大丈夫かな」
そんな声が聞こえてきた。
前に並んでいた人のスマホの画面が目に入る。
頭が真っ白になった。
目の前が真っ暗になった。
立っていられなくなった。
呼吸の仕方が分からなくなった。
周りに泣いてる人がいた。
私の目から涙は流れなかった。
現実だと思ってなくて、嘘だと思っていて、真実を受け入れられなくて、放心状態だった。
そのまま入場し、収録が始まった。
色んなアーティストがパフォーマンスして、楽しい。他のジャニーズ、キラキラしてた。
Sexy Zoneが登場した。
4人だった。
4人が涙目になって聡くんのことを話していた。
なんで?どういうこと?
私には分からなかった。分かろうとしてなかった。
CM中、司会の櫻井くんが言及してくれた。
よく覚えてないけど、ゆっくり休んで欲しい。きっと大丈夫。みたいなことを言ってたかな。
カラクリだらけのテンダネスのパフォーマンスが始まった。聡くんがいない。
聡くんのパートを風磨くんが歌っている。
よく分からない。
そのまま、放心状態のまま、ふわふわした気持ちで家に帰った。
テレビをつけたら、ニュースZEROが始まった。
その文字が目に入って、言葉の意味を咀嚼した瞬間、過呼吸になった。
全身が震えて硬直した。怖かった。
ブログを書いている今も、思い出して手が震えている。
彼に依存しすぎていた反動だろう。
応援しているアイドルの病気療養くらい、悲しいくらいでここまでにならないのかな。
1週間、ご飯もまともに食べられなかった。学校に行けなかった。笑えなかった。
しばらく経って、やっと涙が出た。声を出して泣いた。何日も何日も泣いて泣いて泣き続けた。
彼がパニック障害だということ、活動を休止していることを受け入れられた訳ではない。
だけど、テレビの画面には彼がいない。スーパーライブにも紅白にもカウコンにも彼がいない。これが現実だった。
いつ終わりが来るか分からない、復帰するかどうかさえも分からない、そんな未来が不安でたまらなかった。
年が明けて2019年、1月。ツアーが発表された。
メールの最後に「松島聡は療養中のため、本公演には参加いたしません。何卒ご了承ください。」との文字。
だけど、ありもしない可能性に期待して、ツアーに参加した。彼の姿を、声を探した。でも、いない。
4人のコンサートだった。
辛くて涙が止まらなかった。楽しみたかった。ごめんなさい。
それからも、何かお知らせが来る度に期待し、裏切られ、泣いて、の繰り返し。
4人も愛したい。4人の状態のSexy Zoneを愛したい。だけど、できない。こんな自分が嫌になる。
誰かが言っていた。
「4人のSexy Zoneを、別の、他の、1つのエンターテインメントとして見られるようになれば楽になるのかな」
って。
そうなるように努力した。でも私にはできなかった。5人のSexy Zoneが大好きだから。どうしても彼のいないSexy Zoneに向き合うことができない。
いつの日からか、私を元気にして癒してくれていた彼の笑顔を見ると、悲しくて辛くて苦しくてどうしようもない気持ちになるようになってしまった。
こうなってしまったのは、彼もメンバーも私も誰も悪くない。何も恨めない。負の感情の矛先が無い。
それに、私は彼に何もすることができない。私はたくさんのことをしてもらったのに。
病気を治して寛解させて元気にする力もない。ただ待って泣くことしかできない。無力な自分に呆れる。
ブログやインタビュー等でSOSが出てたことにも気づけなかった。本当に無力。
聡くんを応援していた期間より、休養期間の方が長くなってしまった。
彼が残してくれた欠片を拾い集めて何とか生活している。
毎日ブログが更新されて毎月雑誌が発売されてラジオがあって新曲が出てテレビに出演してコンサートで会える生活がどんなだったか忘れてしまいそうだ。
もう期待することに疲れてしまった。
病気のことも私なりにたくさん調べた。
とても苦しい病気だった。彼には経験してほしくないものだった。苦しんでいる彼を想像するだけで心がえぐられる。
早く会いたい。でもこの気持ちは捨てた。
ただ、元気でいてほしい。笑っていてほしい。健やかで穏やかな生活を送っていてほしい。幸せでいてほしい。
それだけ。
復帰してほしいと願うのは、私のエゴかもしれない。
あと4ヶ月で2年が経つ。22歳の彼を知ることもできないのかな。
それでも、いつ来るか分からない、もう一度笑顔が見られるかもしれない、「その日」をただひたすら待って、私は聡くんを想い続ける。
聡くん、生きてるだけでまるもうけだよ。